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花はさかりに 

2008.01.08 (Tue)

日本人はさくらの花がすきだ。いや、さくらだけじゃなく、咲き誇る花を見るのがすきなんだと思う。花見という風習はそういった日本人のおかしな特性の産物なのだ。花見。もちろん見るのは咲いている花。もし、花見に行って咲いているはずのさくらが(たとえば前日の台風とかで)もう散った後だったとしたらどうだろうか。多くの日本人はがっかりして、宴会会場をカラオケBOXに移すことだろう。さくらが散っている様子を見て、情趣を感じに行きたい(つまり散見・もしくは木見)と思う日本人は今や少数派と化しているはずだ。しかし、花が散ってしまった後の枝だけが残されたさくらの木、(まるで50代前半のハゲ親父がリストラされて昼間から公園のブランコに座っているような)そんな様子が時にはたまらなく美しく感じられるのだ。初めが美しいように、終わりもまた美しかったりする。太陽でもそうだ。日の出も美しいけれど、日没も負けないくらい美しいものだ。

そう。それは男女の関係、恋心にもまた等しく。どこを始まりとして、どこをラストにするかによっても変わってくるけれど、たとえばつきあいはじめの初々しさもかわいらしいが、別れる前の静けさもなかなかに美的関心をそそられる。おそらく、心に何かを抱えて、いっぱいいっぱいになっている人間こそが、終わりという「無」の瞬間に心を奪われるのだろう。たとえばお湯でいっぱいのお風呂の、栓を抜いた瞬間。やがて何も無くなる。何も無くなるということは悲しいばかりではない。無いことが生み出す存在。無いからこそに有ることのありがたみを知る。いないからこそいることの素晴らしさを知る。壊れてからこそ大切さを知る。時には取り戻せないこともあるかもしれないが、そうやって人は一歩一歩進んでいくのだ。

見えないものを見るということ。例えて言うなら、美しい満月にばかり目を奪われているのではなく、見えない新月にこそ目を向けるような。それこそが人間が豊かに生きていく鍵ではないだろうか。目には見えない優しさを、言葉には表れない愛情を、わたしは感じて、ただただ生きていくのだ、何もない、ただひとつ星があるだけの、真っ暗な夜闇の中を。


0:41  見えないさくらを見上げて。(古文でおかしくなったわたしに愛の手を)
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